自分史Ⅲ

記事を一部書き直して再投稿しました。

スポンサーリンク

うそつき

中学生になっても内向的でおとなしい性格は変わらず、仲良しの友達ができるわけでもなく楽しいことは何もなかったけれど、なんとなく毎日学校に通っていました。

小学生のときに一緒に遊んでいた友達は、どんどん新しい友達を作って自分の世界を広げていったけれど、私は自分から声が掛けられないので、取り残されていきました。

しかし、1年生の三学期あたりから学校に行こうとすると具合が悪くなり、欠席する日が多くなりました。
2年生になると毎朝具合が悪くなり、1週間・1ヶ月・3ヶ月…と、学校へ行かなくなる日が続きました。

いまのような不登校支援のようなものは無かったような気がします。(たとえあったとしても、私は行かなかったと思いますが。)当時は『登校拒否児童』と言われていました。

朝起きるとお腹が痛い、気持ちが悪い、頭が痛い。本当に具合が悪かった。

でも家族が全員仕事へ行き家に一人になると、急に気持ち悪さがなくなり食欲も出て元気になったので、食事は家族が留守の間に済ませるようになりました。

夕方5時を過ぎ家族が帰ってくる時間が近づくと、気持ち悪くなり吐き気との戦いが始まりました。

家族が全員揃うころには具合の悪さはピークを迎え、トイレに籠もったまま出られなくなることが度々ありました。水すら飲み込めないほど、体が食べ物を受け付けないのです。

そんな状態だったので体のどこかが悪いはずだと、母親にむりやり近所の医者(内科)に連れて行かれ、検査を受けさせられました。

しかし、どこにも異常は見つからず、そのせいでいくら具合が悪いと言っても『仮病』『さぼり』『怠けているだけ』と、母親も私の言うことを一切信じてくれなくなりました。

父親は、子育てはすべて母親の責任という古い考えの持ち主だったので、私の登校拒否に関しては無関心でした。

本当に具合が悪いのに親にすら信じてもらえない。

検査で異常が見つからなかったので、先生が家まで迎えに来て強制的に学校に連れて行かれました。

布団から無理やり引っ張り出され、
パジャマを無理やり脱がされ、
制服のシャツを肩にかけられ、スカートも半分くらい穿かせられ、
下着も半分見えるような状態で、母親と先生(男)に抱きかかえられるようにして先生の車にむりやり押し込まれました。(誘拐されているような状況です)

大人ふたりに力づくで車に乗せられてしまったので、「午前中で帰らせて!」車の中から外にいる母親に頼みました。

「帰ってきていいからとりあえず(学校へ)行きなさい!」

その言葉を信じていました。

半日の我慢だ。

学校へ着くまでに先生の車の後部座席でシャツのボタンをはめたり、ブレザーを着たり身だしなみを整える。
知らない人が車の中を見たら先生に強姦された女子中学生のような姿だったと思います。

ご飯が喉を通らないため給食の時間は避けたかったので、『半日』というお願いをしました。お昼まで…、そう考えるだけで少し気がラクでした。

久しぶりに学校に行くと、机の中にはゴミがいっぱい詰まっていました。
机には落書きもしてありました。

『半日の辛抱だ』

誰とも口を聞かず、ひたすら時間が過ぎるのを待ちました。

お昼になったので先生に、「帰ります」と、伝えると

「さっきお母さんから電話があって、『帰らせないで最後まで授業を受けさせてほしい』と言われたから帰すわけにいかない」

うそつき・・・

この言葉は30年以上経った今でも鮮明に覚えています。
学校に行ったら途中で帰ることは許されない。

学校に行ったのはこの日が最後でした。

ブログランキング参加中

よろしければポチッとひと押しお願いします
   にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記へ
ブログランキング|にほんブログ村

自分史
スポンサーリンク
動きたくない五十恵さん

コメント