自分史Ⅱ

記事を一部書き直して再投稿しました。

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内向的だった小学生時代

小学生になると、自分の意思や意見をほんの少しだけ持つようになりました。
持つようになっただけです。それを言葉にすることはほとんどありませんでした。

自発的に意見を言わない。
自分の気持ちを表に出さない。

言われたことはしっかりやるけれど、自分から進んで行動は起こさない。先生も心配するほど内向的で、小学生のときの通知表には6年間ずっと『内向的』と書かれていました。

内向的でしたが、外で遊ぶことは好きでした。
内向的な子は家で本を読んだり絵を描いたりというイメージだと思いますが、じっとしていることが嫌いでした。

目的もなく自転車を乗り回したり、公園のアスレチックで遊んだり、泥団子を作ったり秘密基地を作ったり。(女の子らしい遊びはしていません)

友達とも遊んでいましたが、いま思えば一緒に遊んでいたように見えただけで、実は一人だったような気がします。

大勢の輪の中に入ることが苦手だったので、周りに友達がいても特に会話はなく、なんとなく友達の輪に混ざっているだけで、一緒に遊んでいるフリをしていただけ。

実際、周りの友達が遊び場を変えて移動してしまったあと、その場に取り残されてしまうこともありました。

リーダー格の子が「次○○の公園に行って遊ぼうよ!」と言うと「そうだね、行こう!」「うん、行こう!」「行く!」「わたしも!」みんな賛同してぞろぞろ移動していきます。

私は、
『みんなと一緒に行ってもいいのかなあ?』 友達と遊んでいるときに、普通はこんなことは考えないと思いますが、私は一緒に行っていいのか考えてしまうので結局取り残されてしまうのです。
みんなと同じテンションで「私も行く行く!」と言えればよかったのですが言えませんでした。
「私も一緒に行っていい?」と聞くこともできず、そのまま黙って一人で家に帰りました。

みんなと遊ぶのが苦痛で、早く家に帰りたかったという気持ちも少しあったのも事実です。

次の日、一緒に遊んでいた友達に、
「なんで黙って帰っちゃったの?」
と聞かれ、
「ちょっと用事があることを思い出したから…。」
一緒に行って良いのか迷っているうちに置いていかれた私は、黙って先に帰ったと思われてしまうのです。

こんなこともありました。
ある日、「今日はみんなでAちゃんの家で遊ぶからおいでよ」と誘ってもらいました。

Aちゃんは隣のクラスの子で、家は会社(工場)を経営していていました。
工場と同じ敷地に自宅があることは知っていましたが、家を訪ねるのはこの日が初めてでした。
「ランドセル置いたら行くね」
本当はあまり人の家に行くのが好きではないのですが、ヤダと言えない性格なので承諾し、ランドセルを家に置いて自転車でAちゃんの家へ向かいました。

Aちゃんの家に着いたのですが自宅の入り口がわかりません。

自宅が見えているのに目の前に工場、そして仕事中のおとなの人がウロウロしていて入って行くことができなかったのです。
そのままAちゃんの家の方向に向かって歩くか工場の人に聞けば済む話なのですが、知らない人に話しかけるなんて当時の私には絶対むり。家を訪ねることが出来ず泣きそうだったのでそのまま黙って帰りました。

次の日、
「昨日どうして来なかったの?」
家の入り口がわからなかったと言えず、「ちょっと用事ができて…」と言いました。
そんなに頻繁に急ぎの用事ができる小学生はいません。

高学年になると、クラスでいじめが始まりました。性格的には私がいじめられてもおかしくないのですが、ターゲットは私ではありませんでした。

何が原因だったのかキッカケは覚えていませんが、Yちゃんがイジメのターゲットになりました。
当時のイジメは仲間はずれが主でした。

いじめっ子側のリーダーはMちゃん。

私はどちら側にもつくつもりはなく中立な立場で、Yちゃんと同じ塾に通っていたこともあり、Yちゃんの家に時々遊びに行っていました。

そして、同時にMちゃんとも遊んでいました。

いじめっ子のMちゃんは私に
『Yの家に行って何してたの?』
とよく聞いてきました。

何をして遊んだのか、おやつに何を食べたのか、どんな話をしたのか、家の中の様子など、悪いことをしているわけではないので聞かれたことに答えました。

Yちゃんの家はちょっとお金持ちだったので、行くたびにおやつにケーキが出てきたり、おしゃれなカップで紅茶が出てきたりするのでそのことも話しました。

当時は考えませんでしたが、Mちゃんはお金持ちのYちゃんに嫉妬していたのかもしれません。

いじめっ子Mちゃん。いじめられっ子Yちゃん。どちらとも平等に接していた私はいつのまにかYちゃんの情報をMちゃんに伝えるイジメ材料の情報を提供する情報屋として使われるようになっていました。

もちろん私はそんなつもりはなかったのですが、まわりからはそのように見えていたようです。

イジメの噂は当然ながら先生の耳にも入り、ある日私とMちゃんの二人が先生に呼び出されました。
クラス全員で無視をしていたのに、呼び出されたのは二人だけ。
どっちつかずで、公平に接していたつもりなのにまさかの主犯格扱いでした。

お前は卑怯だと先生に言われ、こっぴどく叱られ泣きながら教室に戻ったことは覚えていますが、そのあとどうしたのか正直覚えていません。

いまでも何が卑怯な行為だったのかよくわかりません。先生にイジメのことを言わなかったことが卑怯な行為なのだとしたら、クラス全員が卑怯者です。

いじめる側、いじめられる側、両方と仲良くしたことがいけなかったのだとしたら、どちらともかかわらなければ良かった。それまで以上に友達と遊ばなくなり、学校も時々休むようになりました。

小学校卒業後は、Yちゃんは別の中学校へ行き、Mちゃんと私は同じ中学へ。

その後、私が中学校へ行かなくなり登校拒否児童と呼ばれるようになると、Mちゃんは私の家に嫌がらせの電話をかけてきました。

ちょっと声を変えてしゃべっていましたが、付き合いが長いのですぐにわかりました。
Mちゃんは根っからのいじめっ子、もう付き合うのはやめようと決めました。

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動きたくない五十恵さん

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